日田の咸宜園
博多オフ会の翌日ですが、はじめて休暇(夏休み)を取得して、亡き父の故郷の大分県まで足を延ばしました。
江戸時代の天領「日田」に宿をとり、「咸宜園」跡を訪れました。

日本史を学習した人でしたら、広瀬淡窓の私塾「咸宜園」は有名だと思いますが、他に来訪者がいなかったため、中に上がらせていただき、丁寧な解説を聴くことができました。

身分制度の厳しかった江戸時代にも関わらず、学問への志さえあれば、身分、出身地、年齢、これまでの実績を問わず入門できたそうです。
どれだけ優秀とされてきた人でも、入門時は10段階の無級から始まり、毎月公表される成績表をもとに進級が決まり、全国から集まった学習者が互いに切磋琢磨する環境があったようです。


これをみて、清涼院流水さんが主催する社会人英語部の環境を思い浮かべ、感慨に浸りました。
江戸時代の天領「日田」に宿をとり、「咸宜園」跡を訪れました。

日本史を学習した人でしたら、広瀬淡窓の私塾「咸宜園」は有名だと思いますが、他に来訪者がいなかったため、中に上がらせていただき、丁寧な解説を聴くことができました。

身分制度の厳しかった江戸時代にも関わらず、学問への志さえあれば、身分、出身地、年齢、これまでの実績を問わず入門できたそうです。
どれだけ優秀とされてきた人でも、入門時は10段階の無級から始まり、毎月公表される成績表をもとに進級が決まり、全国から集まった学習者が互いに切磋琢磨する環境があったようです。


これをみて、清涼院流水さんが主催する社会人英語部の環境を思い浮かべ、感慨に浸りました。
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